今週のお題「投げたいもの・打ちたいもの」
私が投げたいものは、夜に考え込みがちな自分
私はいくつか趣味があってそのためにTwitterを使っているのだけど、どの界隈でもいろんなことが燃えているのを見て考え込んでしまって眠れなくなって、昨日もメモ帳に色々書き残していた。
せっかくだからここに残してみようと思う。
以下↓↓↓↓↓↓
今はすごく音質のいいイヤホンがたくさんあって
それを使って聴くと音の聴こえ方が全然違うというのはよくある話なんだけど
時々、あまり音質にこだわらない安いイヤホンであえて昔大好きだった曲を聴きたいと思うことがある。
洗練されている、高級感のある音は技術の賜物だし、評価されることはごく自然なことなんだけど
安いイヤホンから流れてくる、ちょっと分離が悪くてざらついた音が呼び起こしてくれる特有の魅力や思い出や記憶があったりする。
それは音質のいいイヤホンでは絶対出てこないんだよね
万人が受け入れるものは必ずしも一種類ではないし、シチュエーションによっても受け入れられるかどうかは変化する。
それを嗜好と呼ぶのだと思う。
SNSとかが発達して、人の本心が覗き込めるけど顔がよく見えないっていう時代になった。
普通に生きてたら面と向かって会えない人の考え方をたくさん知れるという意味ではすごく楽しくて恵まれた時代だと思う。
一方で、誹謗中傷がよくないのは絶対そうなんだけど、そこにまで至らない嗜好でしかない部分を、これが正しい、こうあるべきだと他人に指摘する人がすっごく増えたなと感じていて、時々それを見ているだけで苦しくなるし自分の意見をそういう場所に書くのが怖くなる。
自分と違う考え方に触れた時に、あなたはそうなんですね、とか、そう言う考えもあるのかぁ、とか、あえてここでこう言う必要もないよなとか場面をみて判断することって大事じゃないですか?相手が顔もわからない人だったらなおさら私は考えてしまう。
いろんな嗜好を持つことが良しとされる世界なら、自分の好きなものだけが流れてくるわけでもないし、全く他人を傷つけないのはほぼ無理だと思ってるし、その傷がつくことでまた自分の中に気づいてなかった知見が増えることもある。
それと同時に、(ずっと自分の心の中にしまっておくならまだしも)自分勝手になんでも言って振る舞っていいというわけでもないと思うので、不用意に人を傷つけないようにしようという心がけもとても大事だと思っている。
このバランスを取るのにセンスが必要とされるのがインターネットってことなんだろうか。
どの界隈を見てもそう。
いろんなものに簡単に火がついて燃えてその焼け跡がいつまでも残る世界を見てるとそんなことを感じる。
個人的な意見をいうのはいい、でも自分が介入できる範囲を逸脱してないかを考えないと、自分の好きな人たちに必要のないやけどを負わせることになるかもしれない。
安いイヤホンで音楽を聴いてから眠ろう。
聴こえすぎなくていいものが聴こえないのは時には役にたつ。